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Written by ダズ
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Wednesday, 08 August 2007 |
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SAF1ファンであり、レースマーシャルでもあるダズからの投稿です。 みなさん、こんにちは。 このサイト向けにモータースポーツに関するマーシャル観といった内容の記事を書いてくれとマークから頼まれ、私はとても文筆家とはいえないたちなので最初はそんなのとても無理だ!と思いました。しかしその後、試しにやってみるかと思い直しました。成せばなる成さねばならぬ何事もと言いますからね。ということで、どうぞ。 私がスーパーアグリのファンだと言うと、たくさん聞かれることのひとつが「なんで?」という質問。まあ、ある小話でもってそれをご説明するのが最も簡単なやり方でしょう。先ずは状況をご説明しましょう。時はさかのぼって1999年イギリスグランプリ。トラックではイギリスF3選手権が行われていました。私の記憶はもう以前ほどよくないので、それが実際の決勝レースだったのか予選セッションだったのかは今や定かではありません。さて、みなさんはこれがスーパーアグリファンであることとどう関係しているのか?と疑問に思われるでしょう。実はこれが私にとってマーシャルとして参加した初めてのグランプリであり、私はクラブコーナーで仕事をしていたのです。 未来のF1グランプリスターを目の当たりにする大きなチャンスを与えてくれるという理由で、私はずっとF3のファンでした。このレースもエントリーリストを見て分かるようにご多分に漏れませんでした。リストには、ルチアーノ・ブルティ、ジェンソン・バトン、アレックス・ユーン、トビー・シェクター、そしてナレイン・カーティケイヤンなどが名を連ねていました。しかしながら、私が注目していたのは、Bクラスにてダイヤモンド・レーシングから参戦していたひとりの若き日本人ドライバーだったのです。そのドライバーはクラブコーナーでコースオフして、マシンからは小さな炎が上がっていました。我々がマシンにたどり着くとドライバーはマシンから飛び出して、彼自身の身の安全よりもむしろ我々が彼のマシンにダメージを与えることのほうを心配していました。長い話を手短に言いますと、火は迅速に消し止められ、ドライバーも一緒になってマシンを壁の後ろ側まで押していきました。その間ドライバーは礼儀正しく、どうかマシンを丁重に扱うようにと頼み続けていました。そのドライバーとは他ならぬ佐藤琢磨であり、たいへん好青年に見えたので、その日から私は大いなる関心を持って彼のキャリアを追うようになりました。 そう、これが私がスーパーアグリファンになったいきさつ。ここらで自己紹介をしたほうがよいでしょうね。 私の名前はダズ、本業は英国空軍で憲兵隊犬の調教師をやっています。空いた時間に、ドニントンパーク救急サービスチームのマーシャル、そして英モータースポーツ・マーシャルズ・クラブのメンバーとして活動しています。マーシャルの仕事は1997年に始めて、ドニントンパークで開催されたイギリス・ツーリングカーで最初の仕事をして以来ずっととりこになっています。マーシャルの仕事をしていると、まさにアクションが起こっているその場に居合わせることができ、大多数のファンが近づける距離よりももっとマシンやドライバーの近くにいるのです。自分とアクションの間にはフェンスもなく、事故が起きたときは、コース脇で複数のマシンを巻き込んだ事故に対応している間もレースをしている残りの集団が自分の脇を時速100マイルを超えるスピードで駆け抜けていく、自分の身を守るものはオレンジ色の耐火作業着と振られているイエローフラッグしかない。これ以上にアドレナリンが駆け巡ることはありません。マーシャルとしてある週末は基礎レベルのレーシングクラブのミーティングのためにコース脇で従事し、またあるときはシルバーストンでイギリスGPのピットレーンにいる。これから私が書いていく記事をとおしてどうやってマーシャルの仕事に就くか、正確には何を必要とするのか、コースからのエピソードとともにどんな利点があるのか、そして私なりのモータースポーツの世界観をみなさんにお伝えしたいと思っています。ご質問があるときは、私宛にPM(プライベートメッセージ)(訳注:当サイトの機能のひとつ)で送ってください。できるだけ完全かつ正直なお返事をいたします。 次回までみなさんお元気で。フォーラムでみなさんからのご感想を読むのを楽しみにしています。 ダズ (編者より - フォーラムの新セクションにご注目)
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